幕府と朝廷の関係性【室町~安土時代編】

Q. 鎌倉時代から江戸時代末期までの幕府と朝廷の関係性の変化を教えてください。


A.

【室町初期(建武の新政~観応の擾乱)】

鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇は建武の新政を開始しました。しかし公家ばかり重んじた結果、足利尊氏が離反してしまいます。尊氏は持明院統から光明天皇を擁立し、吉野に逃れた後醍醐天皇と対立、後醍醐天皇を支持した楠木正成・新田義貞を撃破し、南北朝時代が始まります。

また持明院統の光明天皇が尊氏を征夷大将軍に任命し、室町幕府が誕生します。

ところがさらに、尊氏の家来・高師直と弟・直義が対立、北朝側では内部分裂が起きてしまい、南北朝の対立が複雑化していきます。(観応の擾乱、と言います。)


【室町初期(~南北朝統一)】

観応の擾乱は南朝vs北朝(尊氏)vs北朝(直冬(直義の子))という三つ巴の戦いで、それぞれが離合集散を繰り返し長期化しました。直冬が尊氏に敗北して一時は均衡が崩れましたが、3代将軍義満によって南朝・後亀山天皇が北朝・後小松天皇に譲位するという形式で南北朝統一が成されました(実質北朝へ統合でした)。


【室町中期~安土】

この時代の朝廷は影が薄いと言っても良いでしょう。。(専門家の方には怒られてしまうかもしれませんが💦)個人的な考えですか、これは幕府の拠点が朝廷と同じく京にあったことも影響していると思います。

応仁の乱前は幕府に権力があり、乱後は各地の守護大名たちが力を持ち始めるからです。権力低下と言っても、将軍の権威は利用され続けました。幕府権威が著しく低下したのは13代将軍義輝暗殺後のことです。とはいえ将軍は将軍。上京を目論む大名らはその口実に将軍を庇護下に置こうとします。そして織田信長の助力で上京し、15代将軍となった義昭が、最終的に信長に反発したことで、義昭は京から追放され、幕府は滅亡しました。

室町幕府は、朝廷の直接的な影響なしに滅びた唯一の幕府なのです。

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