日本・ドイツ・ソ連の関係性【日本編】

記事「日独防共協定・独ソ不可侵条約・日ソ中立条約の背景」(注:タイトル変更しました)にて以下の質問に回答しました。

Q. 日独防共協定があるにもかかわらず独ソ不可侵条約が締結され、その独ソ不可侵条約があるにもかかわらずソ連が対ドイツ戦に備えるために日ソ中立条約が締結された理由はなんですか?

そして、さらにその背景を考えるため、「1931年~1945年の情勢」を掲載しました。

「日独防共協定・独ソ不可侵条約・日ソ中立条約の背景」には表を掲載しただけですので、本記事を含む「日本・ドイツ・ソ連の関係性」と題した各国編でそれぞれの14年間を追い、出来事の解説をしていきます!(表に掲載した出来事のみ)



日本の動きには中国の動きが直接的に作用します。

日本にとっての第二次世界大戦は、前半は日中戦争の延長、後半は対アメリカ戦がメインです。(日中戦争の途中から東南アジアへの進出もしています)

1931年

  • 満州にいた日本陸軍が、柳条湖で南満州鉄道を爆破して(柳条湖事件)、それを「中国がやったんだ!」と言いがかりをつけて近辺の中国軍を追い払い、満州を占領。(満州事変)


1932年(表に掲載し忘れました😓)

  • 日本軍は満州に傀儡政権を樹立させようと画策。結果、清朝最後の皇帝・溥儀(宣統帝)を執政とした満州国を建国


1933年

  • 満州事変を巡り、国際的な批判を浴びていた日本。国連に派遣されたリットン調査団が満州を訪れ、実際の線路などを調査した結果、中国軍の仕業ではなく、日本軍による自作自演だということが証明される。結果、国際連盟は満州国の存在を認めず(ただし、日本が持つ権益は認めようとしていた)、それに反発した日本は国連を脱退

※日本が国連を脱退したのは3月。ドイツはこの後、10月に脱退します。第二次世界大戦、ヒトラーがいたドイツの方が過激なイメージがあるかもしれませんが、実は、先に国際連盟を脱退しているのは日本なんです。これ以降、ハブられた者同士が近づいていくことになります…。


1936年

  • 日独防共協定締結


1937年

  • 北京郊外の盧溝橋にて、日本軍に対して十数発の射撃がなされたことから日中両軍の衝突に発展した、盧溝橋事件が発生。
  • 停戦協定が結ばれ、日本政府も不拡大方針を出したものの、拡大派と不拡大派が激しく対立し、その中日本軍は戦線を拡大した。
  • 結果、全面的な戦争となった。(日中戦争)


1939年

  • モンゴルと満州の国境で、日本軍とソ連軍が衝突。(ノモンハン事件)
  • 結果、日本は惨敗


1940年

  • 日独伊三国軍事同盟締結

※ドイツとイタリアは1936年、反共を掲げてベルリン=ローマ枢軸を形成、以来友好関係を築いていた。これと日独防共協定が組み合わさり、軍事同盟となった。


1941年

  • 日本は、本来戦場がヨーロッパであった第一次世界大戦(1914年~)にかこつけて無理やり参戦し、ドイツの持っていた中国権益を奪い、太平洋の諸島を獲得し、戦勝国側に名を連ねていた。以来、日本の勢力拡大に危機感を抱いていたのが米英で、日中戦争が始まると、特にアメリカは中国を支援した。東南アジア方面から、援蒋ルートと言われる経路で中国に支援物資を渡していた。この援蒋ルートを遮断する目的に加え、東南アジアへの影響力を強める(あわよくば支配する)ために、東南アジア方面へ軍を進めようとする南進派と、満州方面で領土拡大を図る北進派に分かれて政府内でも紛糾。ノモンハン事件などの経験からソ連との直接対決を避けたいという南進派の一人、当時外務大臣だった松岡洋右の尽力により、日ソ中立条約が締結された。これにより、否応なしに東南アジア方面へ軍を進めることになっていく。

※この日ソ中立条約はモスクワで締結された。このとき、外務大臣同士が会い、調印すればよいのだが、ソ連にとっては日本と戦争しないことが非常に重要だったらしく、スターリンも同席している。


  • 日本の東南アジア進出や日独伊三国軍事同盟により、アメリカとの関係が悪化。対米戦争を避けるため、日米交渉開始。アメリカは日本に対して石油・くず鉄禁輸等の経済封鎖を行い、日本は苦境に立たされたため、この交渉は非常に重要な意味があった。
  • しかし最終的に日米交渉は有効な解決策を打ち出せず、最後通牒ハル=ノートが提示された。この内容は結論「満州事変以前の状況に戻す」というものであり、日本側としては飲み込めない内容だった。これにより日米交渉は決裂、日本は対米開戦への備えを本格化させていく。
  • 真珠湾攻撃により日米開戦。

※真珠湾攻撃は奇襲、となったが、日本側は宣戦布告はしていたと言われている。本当に奇襲後に伝えられた、とか、フランクリン=ローズヴェルト大統領がアメリカ国民に情報を出すのを遅らせて対日憎悪を煽った、とか、様々なことが言われている。(ここでは詳しくは言及しません。気になる方は調べてみてください…)


1942年

  • ミッドウェー海戦で惨敗
  • 以降、日本は劣勢に立たされる。


1943年

  • ガダルカナル島における戦闘で、ミッドウェー海戦の約3倍の損害を出し、撤退


1944年

  • サイパン島陥落
  • これによりB29号が日本本土まで行って帰ってくることができる範囲を押さえられたことになった(本土空襲が可能)。


1945年

  • 3月10日、東京大空襲
  • 硫黄島占領、これにより本土以外の領土を失う
  • 沖縄戦(唯一の本土戦)。
  • 8月6日、広島に、8月9日、長崎に原爆投下。それぞれの原爆にはリトルボーイ、ファットマンと名付けられていた。
  • 8月8日、日ソ中立条約を破り、ソ連対日参戦。これは2月のヤルタ会談で決められていた。
  • 8月15日、ポツダム宣言受諾、降伏。

↓他記事のリンクです(気になるところを見てみてください!)

「日独防共協定・独ソ不可侵条約・日ソ中立条約の背景」
【日本編】 【ドイツ編】 【ソ連編】


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