日独防共協定・独ソ不可侵条約・日ソ中立条約の背景
Q. 日独防共協定があるにもかかわらず独ソ不可侵条約が締結され、その独ソ不可侵条約があるにもかかわらずソ連が対ドイツ戦に備えるために日ソ中立条約が締結された理由はなんですか?
この質問は個人的に頂いた質問になります。条約締結の理由だけなら比較的短く説明できますが、その理由にも理由が連なるという…重層的といいますか、複雑な状況になります。
各条約の締結された背景がわからないと、全ての内容が反発しあっていて理解に苦しみますし、本当に混乱に陥りやすいところですね。 また、背景だけでなく、条約の存在によって各国の動きがどう変わったのか。これも加えて解説します。(終戦まで関わります。)
ということで、サイトにまとめ直すにあたり、背景まで全てを一緒にするととても長くなることが容易に想像できましたので(苦笑)、
①まず回答を提示します。
そして背景の説明のため、(日独防共協定が締結されたのは1936年ですが、)少し遡って、
②1931年から1945年(終戦)までの3カ国の情勢(以上、本記事「日独防共協定・独ソ不可侵条約・日ソ中立条約の背景」の内容)
また、今回の問いに登場した3つの条約の背景を押さえるためには、登場した3カ国以外の動きにも注目する必要がありますが、条約を締結した当事国主軸で注目すべきだと思いますので、【日本編】【ドイツ編】【ソ連編】を作成致しました。こちらは本記事の補足であり、かつ比較的詳細に書いたつもりです。
もちろん内容には重複ばかりになると思いますが、そこが各国が関わったタイミングだったり、国際的に重要なターニングポイントだったりしますので、注目してください!
※【ソ連編】は他の2カ国と内容に重複が多かったため、説明がアッサリしています。物足りない、と思いましたら【日本編】【ドイツ編】もご覧ください。(リンクは記事の最後です↓↓)
A. 質問で挙がった3つの条約は、ある意味「その場凌ぎ」とも言える理由で締結されています。
日独防共協定(1936年)
- 単純に反ソ・反共を唱えていた日本とドイツが手を結んだ、ということではありますが、当時、既に両国とも国際的に孤立していたことも接近の理由として挙げられます。
- 日本もドイツも1933年に国際連盟を脱退しています。仲間がいないもの同士でくっついたイメージです。
独ソ不可侵条約(1939年)
- ドイツ側はフランスとソ連に挟撃されるのを防ぎたい
- ソ連側は前年のミュンヘン会談(詳細は【ドイツ編】【ソ連編】参照)に招待されなかったことから、英仏への不信感が高まり、軍事力を拡大させていたドイツに接近しておく
- ⚠️この条約の裏では秘密条約が締結されており、ポーランドに侵攻した場合、独ソでポーランドを分割する、ということが約束されました。⚠️
※ドイツやイタリア、日本で見られたファシズム(≒全体主義)という政治体制は反共を主軸にしたものですが、ドイツはそれを一時的に破ってでも英仏に備えた、ということになります。
日ソ中立条約(1941年)
- 日本は国内では北進論(対ソ戦)と南進論(東南アジアでの領土拡大)に意見が対立していましたが、南進論派の外相・松岡洋右(まつおかようすけ)の尽力により、日ソ中立条約を締結させ、北から攻められるのを防ぎました。
- ソ連は、イタリアのためにバルカン半島を制圧したドイツに対して警戒心を強め、もしドイツと戦争になった場合に、ドイツの同盟国である日本が東から攻めてくると挟撃される(しかもソ連は領土が東西広く、同時に充分な戦力を割くことが難しい)ため、日本と戦わないようにする必要がありました。
※この条約はモスクワで締結されましたが、締結時に外相以外にスターリンが同席するほどソ連にとっては重要な条約でした。
以上が3つの条約の締結理由になります。
互いの利害が一致したときに締結しているわけですが、最終的に、独ソ不可侵条約と日ソ中立条約は破られ、それぞれ戦争が行われました。(日独防共協定や、日独伊三国軍事同盟に関しては、そもそも日本とドイツが国境を接しておらず、直接的に戦うことがないため破られることにはなりませんでした。)
以下、1931年~1945年の情勢を簡単に記載します。
1931年~1945年の情勢
このサイトにアップするにあたり、表を作成しました!3カ国に起きた主な出来事を1枚で見れるようになっているはずです。(米・英・仏の細かな動きは割愛してあります、ご了承ください)
(日本は赤、ドイツは黄色、ソ連は青です。【日本編】【ドイツ編】【ソ連編】にも同じ表(各国を強調したもの)を載せます!)
【3カ国編】にはこの表のみ掲載します。各出来事の詳細は各国編をご覧ください!(リンクは記事の最後↓↓↓)
そしてとても重要なことなのですが、
1931年~と言っていますが、まず大前提として、
- 第一次世界大戦においてドイツが敗戦国であり、多額の賠償金を背負わされていること
- 第一次世界大戦中~戦後にロシア革命が起き、ソ連(社会主義国)が誕生したこと
- 1929年に世界恐慌があったこと
を把握しておいてください。第二次世界大戦が起きた遠因は非常にたくさんあるのですが、これらはベースとしてとても重要です!
0コメント